大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和59年(ワ)224号 判決

原告

亀窟綾子

右訴訟代理人弁護士

林伸豪

枝川哲

川真田正憲

被告

中西頼雄

右訴訟代理人弁護士

竹林節治

畑守人

中川克己

福島正

主文

原告が被告経営にかかる鴨島中央病院の従業員としての地位を有することを確認する。

被告は原告に対し金六五六万六四五四円及び昭和六二年七月以降毎月二五日限り金一四万二七四九円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨。

二  請求の趣旨に対する答弁。

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は徳島県(住所略)において精神病院「鴨島中央病院」(以下「被告病院」という。)を経営している医師である。

2  原告は昭和五七年七月一九日被告に雇用され、正看護婦として被告病院で就労していた。

3  被告は昭和五八年八月三〇日付で原告を懲戒解雇(以下「本件解雇」という。)したとして、同日以後原告の従業員としての地位を認めない。

4  本件解雇前三か月間における原告の平均賃金は一か月一四万二七四九円であり、その支給日は毎月二五日である。

よって、原告は被告に対し、原告が被告病院の従業員の地位にあることの確認と、昭和五八年九月分から昭和六二年六月分までの未払賃金総額六五六万六四五四円の支払及び昭和六二年七月以降賃金として一四万二七四九円を毎月二五日限り支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

全部認める。

三  抗弁

1  被告は昭和五八年八月三一日、原告に対し懲戒解雇する旨の意思表示(本件解雇)をした。

2  本件解雇は以下のとおり正当な理由に基づくものである。

(一) 被告病院においては、職員らが自ら投薬等の治療を受ける場合には、医師または婦長に申し出て、薬局を兼ねた受付で外来用のカルテを作成し、医師の診療を受けたうえ、医師がその診断に基づいて投薬、注射等の処方をし、薬剤師がその処方に基づいて注射薬などを当該職員に手渡すのであって、職員といえども、医師の診断を経ることなく、勝手に自己または他人に医療行為を行うことは許されない。また、職員の家族については一般外来患者と全く同様の取扱いになっている。

(二) ところが、原告は、昭和五七年一〇月ころから、医師の診断を受けることなく勝手に自分の外来用カルテを作成し、薬剤師を欺罔して、薬剤師からPL顆粒(風邪薬)及びビタミン剤の支給を受け、看護婦詰所から注射器を持ち出すなどして、これを使用するようになった。さらに、原告は同年一二月一二日ころからは、同様の方法で組織呼吸賦活剤「ソルコセリル」を持ち出すようになり、これは昭和五八年五月下旬ころまで続いた。しかも、原告は自分だけでなく夫の亀窟章にもこれを注射していたが、章が被告病院の医師の診察を受けたことは一度もない。章に注射していたソルコセリルの支給については章の健康保険被保険者証ではなく原告のそれが使用され、章のカルテは作成されず、原告のカルテによって持ち出されていた。この薬剤は、胃潰瘍等の治療に用いられる注射薬であり、一本数百円もする要指示医薬品であって、使用法を誤ると患者が急死することもあり、その使用に当たっては常に医師が患者の病状を確認しながら投与していくべき危険なものである。

(三) 被告病院では、昭和五八年七月二二日、徳島県保険課の医療監査が行われた際、担当係官から原告のカルテに不審な点があるとの指摘を受けたので、被告においてこれを原告に問い質した結果、前記事実が発覚したものである。しかしながら、原告はこれについて素直に謝罪しようとせず、「私には組合が付いている。首にするならしてみなさい。」などと開き直り、全く反省の色を示さなかった。

(四) 原告の前記所為は従業員の懲戒解雇事由を定めた被告病院就業規則七一条一二号、一八号に該当するところ、右所為は医師の診察を受けることなく自己及び他人に対して独断で治療行為を施すという、場合によっては、人の死亡というような重大な結果をも惹起しかねない極めて危険な行為である。とくに、重大な副作用があり要指示医薬品とされているソルコセリルを長期間にわたり持ち出して使用したということは、一層危険性の大きなことである。したがって、これは、病院の規律を乱し、病院の財産権を侵害し、医療業務の迅速かつ安全な遂行を阻害するだけでなく、病院の社会的信用をも失墜させるものであって、病院経営者としては到底容認しがたいものである。それにもかかわらず、原告はその非を認めようとしない態度に終始し、そこで、被告は、このような看護婦を今後も引き続き医療業務に従事させるわけにはいかないので、やむをえず懲戒解雇にしたものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2の(一)の事実は不知。

同(二)の事実のうち、原告が昭和五七年一〇月ころから同五八年五月ころまでの間、医師の診察を経ることなく薬剤師から風邪薬、ビタミン剤及びソルコセリルの支給を受け、ソルコセリルを自分と夫の章に使用したこと、章が被告病院で医師の診察を受けたことはなく、章に使用したソルコセリルの支給については章の健康保険被保険者証ではなく原告のそれが使用され、カルテも作成されなかったことは認めるが、その余は否認する。

同(三)の事実のうち、原告が医師の診察を経ることなく薬剤師から薬剤の支給を受けていたことが発覚した経緯は認めるが、その余は否認する。

同(四)の主張は争う。

五  再抗弁

1  被告病院就業規則七一条一二号は「病院の物品を正当の理由なく外部に持出し、または持出しの許可なくしようとしたとき」を懲戒解雇事由の一つとして挙げている。原告の所為がこれに一応該当するとしても、懲戒解雇は労働者にとっては生活の糧を失わせるほどの重大な意味合いを持つのであるから、原告の右所為を理由とする懲戒解雇は、事件の真相、事件発生の背景、事件に対する本人の目的意識、業務上の支障の内容、本人の反省の態度等、諸般の事情を総合的に検討したうえで、それが同条一三号、一四号に定める窃盗・横領に匹敵するほどの高度の違法性を具備する場合にはじめて是認されるものである。

ところで、被告病院において医師の診察を受けないで直接薬剤師から薬剤の支給を受けたのは原告一人だけではない。これは原告が就職した当時からすでに被告病院では職員の間で一般的に行われていたことであり、そのような状況を目にして、原告は、被告病院においては、薬剤師に申し出れば、医師の診察を受けなくとも、直接薬剤師から薬をもらえるものと思い込んだ。

原告は昭和五七年一〇月、風邪気味で体調が不良であったため、薬剤師の三間好恵に「風邪をひいてせこいので薬をお願いします。」と申し出ると、三間はベストン(ビタミン剤)等の薬剤を出してくれ、同年一二月一〇日には同人の選択により別の風邪薬ダンリッチを支給してくれた。そして、原告は同月一四日に胃痛、胃部不快感を覚えて三間にその旨を申し出たところ、同人は自らの選択によってアズノールを出してくれ、同月一五日、原告がなおも胃の不調を訴えると「自分もこれを使っているからいいだろう。」と言って、ソルコセリルを出してくれた。それ以来原告はソルコセリルを使用するようになったのであり、原告としては、このことはカルテに記載されることによって被告に伝わっているものと考えていた。その後昭和五八年三月に入って、原告は、夫の章から胃の不調を訴えられたので、三間に対し、章にもソルコセリルの注射をしてやりたいので、章の健康保険被保険者証によって章の分のソルコセリルを出してほしいと申し出ると、三間は「某さんも自分のカルテで息子さんの分の薬を持って帰って注射してやっていると言っていた。」と言い、原告自身の被保険者証を使用すればよいのではないかと受け取ることのできる趣旨の返答をしたので、原告は、それでもよいのかと思い、従前同様原告自身の被保険者証を使用してソルコセリルの支給を受け、これを章にも使用していたが、三間から異を唱えられたことはなかった。

ソルコセリルは副作用が生ずることは希であって、非常に安定度の高い医薬品であり、胃潰瘍の薬として広く一般に使用されている。章は別の病院からも支給されこれを使用していたが、副作用が生じた形跡は全く見られなかった。ソルコセリルは一般に静脈注射によって投与されるが、静脈注射は通常医師のかわりに看護婦が施行しており、章に対しては、看護婦である原告が注射をしたのであって、この点での危険性はなかった。

被告は毎月の診療報酬請求の際にレセプトを確認し、押印するのであるから、そのレセプトを見れば、原告がソルコセリルの連続投与を受けていることを把握することができ、医師の診察を受けたか否か疑問を抱くはずであるのに、原告に注意をしたことは全くなく、結局、被告もソルコセリルの連続投与を黙認していたと見られるのである。

右のとおり、原告は、当時被告病院の職員間で日常的に行われていたことの範囲内のことをしたまでのことであり、三間薬剤師や被告を欺罔する意思などは持っていなかったし、昭和五八年七月二二日の徳島県保険課による医療監査が切っかけで、原告の所為が問題とされるに至ったときには、素直に自己の非を認め、謝罪をしているのである。

以上のような事情を考慮するならば、本件解雇は、原告の所為の背景の調査、原告の認識、就業規則の他の解雇事由との比較検討など、被告において当然なすべきことを怠った結果、被告病院の杜撰な医薬品管理の体制を全く棚上げしたうえでされたものであって、原告にとっては誠に苛酷な処分というべきであり、解雇権を濫用したものとして無効である。

2  本件解雇は、昭和五八年一月に結成された、原告所属の労働組合(結成時は「全国一般鴨島中央病院支部」と称したが、同年三月七日に加盟上部団体を徳島県医療労働組合協議会に変え、現在は同協議会所属「鴨島中央病院労働組合」と称している。以下「組合」という。)に対する被告の嫌悪、敵対する姿勢から組合弱体化の目的の下になされたものである。すなわち、被告は、組合が結成されるや、組合敵視の態度を取り、当時組合委員長であった吉田卓史が徳島県精神病院協会准看護学院に入学するについてした身元保証を取り消して退学を余儀なくさせ、同年二月には組合役員をしていた山嵜惠子、中田直子及び原告を解雇し、後に原告らが地位保全などを求めて裁判所に対し仮処分申請をしたことから解雇は撤回されたものの、組合員と非組合員間の賃金差別を続け、同年六月一一日には組合員北島高江、組合副委員長竹内美和子に対し不当配転を強行し、これについては裁判所に対し配転処分等効力停止の仮処分申請をし、これを認容する決定があった。これらに続いて組合の組織を徹底的に壊滅しようとして行われたのが、組合委員長の山嵜惠子に対する再度の解雇と副委員長の原告に対する本件解雇である。したがって、本件解雇は組合の組織破壊及び組合活動の弱体化を意図したものであり、原告が組合副委員長として組合活動の重要な部分を担ってきたことを嫌悪し、これを理由に不利益な取扱いをするものであるから、不当労働行為に当たり無効である。

3  組合と被告間には、昭和五八年三月一〇日に締結された労働協約があり、その中で、組合員の労働条件の変更及び人事については両者の間で事前協議を行うことが定められていた。本件解雇は、右事前協議を経ないで行われたものであるから無効である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。

仮に原告のほか、職員の一部に水虫薬、肩こり湿布薬、風邪薬・トローチ、栄養剤などを勝手に持ち出している者がいたとしても、ソルコセリルのような危険な薬の持ち出しをこれと同視することはできない。すなわち、胃の調子が悪いといってもそれが胃潰瘍に起因するのかどうかの判断は極めて困難であり、胃潰瘍という病気自体が非常に危険なものであって、素人が勝手に治療しても差し支えないというようなものではない。また、仮に胃潰瘍であると正確に判断できたとしても、ソルコセリルの注射が最も適切な治療方法であるとは限らず、ソルコセリルが最適であるとしても、投与の量、期間等は極めて判断が難しいものであり、加えて静脈注射自体の危険性もあり、医師の診断を受けることなく勝手にソルコセリルを注射することの危険性は水虫薬等の使用とは比較にならないほど高いものである。

なお、被告病院には職員が治療を受けるについては、口頭指示ともいうべき取扱いがされている。これは問診だけで処方が決定できるような軽症の場合には職員は診察室以外の場所においても仕事中に随時居合わせた医師の診察を受けることができ、医師から口頭による処方等の説明・指示を受け、カルテの記載は医師ではなくて指示を受けた当該職員またはその職員から医師の指示を伝え聞いた薬剤師が行うというものである。もとより、この場合も医師の診断を受けることが前提となっているのであって、原告の所為はこの取扱いによったのではなく、元来、ソルコセリルの使用は口頭指示によってされるようなものではない。原告は右のような口頭指示の取扱いを悪用し、被告の信頼を裏切ったものであり、極めて悪質というべきである。

2  同2の主張は争う。

3  同3の事実のうち、組合と被告とが原告主張の労働協約を締結したことは否認、その余は争う。

第三証拠(略)

理由

一  被告が被告病院を経営している医師であること、原告が昭和五七年七月一九日被告に雇用され、正看護婦として被告病院で就労していたこと、被告が原告に対し昭和五八年八月三〇日付で懲戒解雇する旨の意思表示(本件解雇)をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  本件解雇の適否

1  原告が被告病院において医師の診察を受けることなく、昭和五七年一〇月ころから同五八年五月ころまで、三間薬剤師から風邪薬及びソルコセリル等の薬剤の支給を受けて、これを自己または夫の章に使用していたこと、章に使用したソルコセリルは原告が支給を受けたものであって、章は被告病院の医師の診察を受けたことが一度もないことは原告の認めて争わないところであり、(証拠略)によれば、被告は、原告の右所為を、薬剤師を欺罔して薬剤の支給を受けるに及んだものであって、被告病院就業規則七一条に定める懲戒解雇の事由のうち、一二号の「病院の物品を正当な理由なく外部に持出し又は持出の許可なくしようとしたとき」と一八号の「その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき」に該当するとして、原告を懲戒解雇してものであることが認められる。

2  本件解雇に至るまでの事実経過

(一)  被告病院における薬剤支給の体制

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 懲戒解雇当時、被告病院においては、外来患者が来院したときには、外来受付も兼ねている三間薬剤師が受付をして、薬局備付けの外来カルテに氏名、住所、健康保険被保険者証番号等を記入し、医師が診察をしてカルテに症状を書き込み、注射をする場合には看護婦詰所に連絡をし、看護婦が出向いて介助に当たり、薬剤を支給する場合には医師がカルテの処方欄にその旨を記載するか、別に処方箋を作成し、そのカルテ・処方箋に基づいて三間薬剤師が薬剤を患者に支給していた。このことは、被告病院の職員であっても、被告病院で治療を受ける限りでは、外来患者に変りはないのであるから、これらの職員に対する注射、薬剤の支給もまた右同様の手順に従って行われるのが建前であった。

(2) しかしながら、職員のうち相当数は、三間薬剤師の前任者のころから、身体に不調を覚えたときには、医師の診察を受けることなく、初診の患者として支払うべき初診料も支払わないで、薬剤師に症状を訴え、栄養剤、風邪薬、湿布剤等、市中で簡単に購入できる類いの薬剤の支給を受けており、また注射薬が必要な場合には薬剤師が看護婦を呼んで当該職員に注射をさせることもあり、現に原告もこのようにして数人の職員に注射をしたことがある。三間薬剤師は薬剤の支給を求められて拒んだことはほとんどなく、むしろ「給料が安いから現物支給でいこう。」などと言う有様であった。また、職員は頭痛がしたり、風邪をひいたりしたときは、各詰所に置かれている常備薬、常備注射薬、使い捨て注射器を婦長に断って持ち出したりもしており、中には無断で持ち帰る者さえいた。原告が使用したソルコセリルについても、息子に使用するため自分の名義で長期間支給を受けていた看護婦もおり、自分の家族の採血をして、医師の診察を受けないまま、検査技師に血液検査を依頼していた者もいた。

(3) 被告病院では、昭和五八年七月二二日、徳島県保険課による医療監査を受け、ここで、原告に対する薬剤の支給について問題のあることが指摘されたが、その翌日の二三日、婦長の渡部美知子は原告を含む看護婦らに対し、「昨日、県の医療監査を受けました。今後皆さんが薬の支給や注射を受けるときは必ず医師に所見を書いてもらってからにして下さい。」と申し渡し、さらに、被告からもその日のころの朝礼の席で職員に対し同趣旨の注意があった。それ以来、被告病院では、職員のカルテについて症状欄だけでなく、処方欄も医師が必ず記入するようになり、職員からも初診料を徴収するようになった。

以上の事実が認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は(証拠略)に対比してにわかに措信しがたい。また、被告は、原告以外の職員は医師の診察を経てから薬剤の支給を受けていたことの証拠として、数人の職員の報告書とその者のカルテ(〈証拠略〉)を提出するが、診察を受けたと報告する日のカルテ症状欄には医師が診察していれば必ずあるはずの症状の記載がないものもあり、さらに、被告は、症状欄に症状の記載がある証拠として、職員の別のカルテ(証拠略)を提出するが、これらのカルテの中には薬剤支給の処方をした日付の症状欄に何の記載もないものが多く見られ、カルテのほとんどは医師だけでなく当該職員、薬剤師、婦長等が記入しており、同じ処方が続けられるにしても何か月もの間症状欄に記載がなかったり、支給される薬剤が変わっているのにそれに対応する症状欄の記載がないものがあるなど、その記載の正確性には疑問があり、被告が提出する以上の証拠は前認定を覆すには足りず、ほかにこれを左右するに足りる証拠はない。

(二)  原告による薬剤受給の状況

前記当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、被告病院で就労するようになった当初、他の病院でも勤務したことの経験から、病院の職員であっても薬剤の支給を受けるには外来患者と同様にまず医師の診察を受けその処方によるのが通常であるのに、被告病院では前認定のような状況にあるのを見て、違和感を抱いたが、被告病院が業務繁忙であることからそのような取扱いも許容されているものと受け取った。

(2) 原告は昭和五七年一〇月五日、三間薬剤師に対し「風邪をひいてつらいので薬をお願いします。」と薬剤を指定しないで申し出で、同人からPL顆粒(風邪薬)とベストン(ビタミン剤)を支給してもらい、その後も同月一八日までベストンの支給を受け、同僚の看護婦に注射してもらうなどした。カルテには最初の二回分については三間薬剤師が記載したが、同薬剤師も一人で薬局を切り回し多忙であったことから、自分で書くようにと言われたため、同月一二日から一八日までに支給を受けた分については原告が記載した。次いで、原告は同年一二月一〇日、体調の不良を訴え、三間薬剤師から「これがよいのじゃないか。」と言われて、風邪の飲み薬ダンリッチの支給を受けた。

(3) 原告は同月一四日、胃の痛み、食欲不振を覚え、その旨三間薬剤師に申し出ると、同薬剤師は胃薬アズノール錠を支給してくれた。さらに翌一五日、「むかむかして胃の調子が悪い。ときどき痛みがあったりする。」と訴えると、同薬剤師は「自分も使用しているからこれがいいだろう。」と言って、胃潰瘍薬であるソルコセリルと使い捨ての注射器を支給してくれ、原告はそれ以来何度かソルコセリルの支給を受けてこれを注射していた。

(4) そのうち、原告は昭和五八年三月ころ、夫の章が胃の不調を訴え、他の病院で支給されたことのあるソルコセリルの注射を希望したので、章の分のソルコセリルの支給を受けようと考え、三間薬剤師に対し章の健康保険被保険者証を持ってくるべきかどうかを尋ねたが、何の返事もえられなかったので、自分が支給を受けたソルコセリルを章に注射してやっていた。しかし、原告は、やはり手続きをしなければいけないと考え、三間薬剤師に対し、章が以前に他の病院で胃潰瘍と診断されたことを説明し、「主人も胃の調子が悪く、注射してほしいと言っているので、主人の保険証を持ってくればいいんですね。」と再度相談を持ちかけたが、同薬剤師は「矢部さんも自分のカルテで息子さんに注射を持って帰ってしていると言っていたわ。」と答えたのみで特段の指示をしなかった。そのため原告は章に使用する分のソルコセリルも自分の名義で支給を受け、これを章に注射してやっていた。以上のようにして原告は昭和五八年五月二二日までの間に何度かソルコセリルの支給を受けたのであるが、その間三間薬剤師からは注意や医師の診察を受けたか否かの確認をされたことはなかったし、この間、原告も章も医師の診察はもとより、レントゲンその他の検査を受けたことはなかった。

以上の事実が認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は(証拠略)と対比してにわかに措信しがたく、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  原告によるソルコセリルの受給が被告に判明してから解雇までの事情

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 被告病院においては、昭和五八年七月二二日、徳島県保険課係官による医療監査が行われたが、ここで、原告のカルテについて長期にわたってソルコセリルが注射されているのに、カルテに医師の所見の記載がないことが指摘され、これが契機となって、原告が前認定のようにして自分で使用するだけでなく、夫の章に使用する分のソルコセリルまで支給を受けていたことが被告に判明した。

(2) 原告は同年八月一一日、被告の妻である中西和子から、被告が診察を希望しているので章を病院に連れてくるように言われ、同月一三日、章を被告病院に赴かせで、被告の診察を受けさせた。また、原告は同月二二日、婦長の渡部美知子から事情を質され、ソルコセリルを自分にだけでなく章にも使用していたことを含めて前認定の薬剤受給の経過をありのままに説明し、釈明した。

(3) これに対し婦長は原告に対し進退伺いを出すことを勧め、原告は被告や和子にも会って陳謝したが、被告らからも希望退職を勧められ、同月二五日、再度被告と和子に対し「今後このようなことのないよう一生懸命働かせていただきたい。」と願い出て、薬剤の弁償まで申し出たが、被告らは希望退職するよう繰り返すのみであった。そして、原告は同月三〇日、被告から就業規則所定の事由に該当する行為があったことを理由とする懲戒解雇通知書を手渡され、そこに記載の事柄が事実に反していることを申し立ててこれを返戻したが、聴き容れられなかった。

以上の事実が認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は(証拠略)と対比してにわかに措信しがたく、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。

(四)  ソルコセリル使用に伴う危険性

(証拠略)によれば、原告が支給を受けた胃潰瘍薬ソルコセリルは、医師の指示がなければ支給できない要指示医薬品であり、(1)ソルコセリルまたは牛血液を原料とする製剤に対し過敏症の既往歴のある者には投与しないこと、(2)薬物過敏症またはその既往歴のある者、過敏性素因患者には慎重に投与すること、(3)副作用として希に、悪寒・悪心・嘔吐・発疹等の過敏症、ショック症状が現れる場合があり、その場合には使用を中止すること等の使用上の注意事項があるものの、胃・一二指腸潰瘍等の潰瘍性疾患について組織修復機能を促して治癒を促進させる薬品として広く使用されており、一般には副作用が少なく、希に発疹、悪心等の副作用はあるものの安全な使用しやすい薬剤であり、一般の病院では、これを患者に使用する場合、看護婦に注射をさせていることも少なくないことが認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は(証拠略)と対比してにわかに措信しがたく、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。

3  本件懲戒解雇の効力

(一)  前認定の事実によれば、被告病院においては、たとえ病院の職員といえども、薬剤の支給を受ける場合には、外来患者と同様、必ず医師の診察を受け、その処方に従うという建前がとられており、このことは医療という事柄の性質上極めて当然のことであって、どのような医療機関においても守られるべき原則と考えられる。したがって、事情がどうであれ、原告が医師の診察を受けないで薬剤師から薬剤の支給を受けた所為はとうてい是認することのできないものである。とくに、ソルコセリルは風邪薬のように市中の薬局でも自由に購入できるというような薬剤とは異なり、医師の処方を必要とする要指示医薬品であり、胃潰瘍という疾病は風邪などに比較して診断も治療も慎重を要するものであって、それだけにその治療薬を使用するには一層医師の処方が重要となるのである。してみると、原告が長期間にわたって、何回もソルコセリルの支給を受け、漫然とこれを使用したことは医療業務に従事する看護婦としての相当の経験を有する者としては甚だ軽率とのそしりを免れない。そのうえ、自己の名義で支給を受けたソルコセリルを夫の章にまで使用するに至ってはなおさらのことである。

(二)  しかしながら、被告病院において職員が治療を受ける場合の薬剤支給の実態は前認定のとおりであり、その建前とは異なり、被告病院においては以前から医師の診察を受けないで薬剤の支給を受けることが職員の間で長期間にわたってかなりの頻度で行われていたのであって、原告が他の職員がするのを見て、右のようなことが被告病院では黙認されていると軽信したのも無理からぬ一面もないとはいえない。一方、被告がこれを全く知らなかったかどうかは甚だ疑問であり、被告病院における薬剤の支給管理は少なくとも職員との関係では極めて杜撰であったといわざるをえないのである。したがって、原告の所為によって被告病院における薬剤の支給管理に新たな混乱が生じ、病院内の秩序の維持に支障が生じたということはできない。

とくに、原告がソルコセリルの支給を受けたのは原告が薬品名を特定してその支給を申し出たのではなく、原告からの症状の訴えを聴き取った三間薬剤師がこれを勧めて支給してくれたものであることは前認定のとおりであり、原告がこの薬剤の効能・特性についてどの程度の認織を有していたかも疑問である。一方、原告がソルコセリルの支給を受けていたことは、原告のカルテを見なくとも、レセプトの記載から明らかであるはずなのに、昭和五八年七月の医療監査があるまで何人によってもこのことに注意が払われた形跡がないのは被告病院においてはこのことがさほど重視されていなかったことを物語るものである。

また、原告は三間薬剤師に症状を訴えて、その勧める薬剤の支給を受けたものであることは前認定とおりであって、原告には薬剤師を欺罔して薬剤の支給を受けるとか、無断で薬剤を不正に持ち出すというような主観的な意図まではなかったことは明らかである。

そのほか、原告が被告側の事情聴取に際し自らの非を認めて謝罪をしていることなど、前認定の諸般の事情に照らすときは、原告の所為はそれ自体としては非難に値するものではあるけれど、このことのゆえに原告を懲戒解雇に処するのは余りにも一方的な措置であって、著しく公平の理念に反し、本件解雇は合理的な理由なくしてされたものであるから、解雇権の濫用であって、その効力を生ずるに由ないものというべきである。

三  原告の地位と賃金請求権

以上の次第であるから、原告はいまなお被告に対し労働契約上の権利を有しているところ、被告が昭和五八年九月一日以降原告をその従業員として取り扱っていないことは当事者間に争いがない。したがって、被告は原告に対し原告が同日以降就労を継続した場合に得られたであろう賃金相当額を賃金支払日に支払う義務があるところ、原告の本件解雇前三か月間の平均賃金が一か月一四万二七四九円であり、賃金支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがない。したがって、被告は原告に対し昭和五八年九月以降昭和六二年六月分までの賃金合計六五六万六四五四円及び昭和六二年七月以降毎月二五日限り月一四万二七四九円の賃金を支払うべきである。

四  よって、原告の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由があるから正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 片岡勝行 裁判官 栂村明剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例